本文へスキップ

弁護士と科学者は違う国の住人?


2010年8月23日に開かれたシンポジウム「科学裁判を考える」で司会する筆者。
左は物理学者の本堂毅さん=東京の弁護士会館

 事業仕分けで科学技術予算が議論されたよう、法と科学が交錯する問題は少なくない。しかし、法と科学の世界は水と油といってもいいほど違っている。

 科学技術が及ぼす倫理的・法的・社会的課題(ELSI=Ethical, Legal and Social Issues)に取り組むためには、科学と法の専門知が要求されるけれど、異なる専門家が一緒に仕事をする(これを「協働」などということがある)のは意外と難しい。そこで、協働を難しくしている原因を発見し、一緒に問題を解決していく仕組みを研究するプロジェクト「不確実な科学的状況での法的意思決定」が2009年10月にスタートした(http://www.law-science.org/)。

 科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)が公募、採択した研究の一つで、私はプロジェクトの代表として、法と科学の協働なる高邁な目標をかかげた。ところが、いやはや法と科学のソリのあわなさは、想像以上であった。

 物理学者のデビッド・グッドスタイン米カリフォルニア工科大学教授は、米国連邦司法センター「科学的証拠に関するレファレンスマニュアル(第2版)」の中で、次のように述べている。「法廷における科学的証拠の提出は、二つの専門分野のできちゃった婚(Shotgun Marriage)のようなものだ。双方ともある程度は他方の仕事の中心となる要請のために譲歩しなくてはならないが、それは双方にとって満足のいくものではないだろう。」

 「できちゃった婚」とは上手く言ったものだと最初に読んだときは笑ってしまったが、自分が当事者になってみると、これはあたかも国際結婚のようだ。法律家と科学者とでは、文化も慣習も時には言葉さえもすれ違う。プロジェクトこぼれ話として、弁護士から見たすれ違いの一端をご紹介する。

 弁護士から見ると科学者の時間は実にゆったり流れている。法の対象である社会現象は変化し続け、捕捉するのすら難しいのに対し、科学の対象である自然現象そのものは時がたってもたぶん変わらない。弁護士が人間の一生くらいのスパンで物事を考えていることが多いのに対して、科学者は日常生活とは桁違いの時間感覚で考えたり行動したりしている。「すぐに!」なんて言われると弁護士は24時間以内に対応(当番弁護士制度など)という感覚だ。これに対し、科学者にもよるだろうが1週間くらいは考えさせて、なんてことが結構ある。 

 議論の方法論もずいぶん違う。弁護士は紛争処理が仕事だ。そのため、合意できる点をすばやく探し、明白に合意できない点は議論から排除していく。これに対して、科学者のアプローチは通常真逆だ。一見例外的な事象の中にこそ「新しさ」を見いだそうとする。一緒に議論していると、私が論点を排除しても排除しても、科学者が新たな論点を拾ってくる。「いつまでたっても議論が片付かない!」と言えば「新しい問題が発見できてよい議論だよ」と返され、うむむと唸る。科学者にとっては、解を見つけることはもちろん、問題の発見と適切な設定も同様に大事だ。わかってはいても弁護士から見ると、問題が見つかったという結論は、何とも尻切れトンボに思えてしまう。

 言葉の問題はもっと大変だ。同じ日本語なのに意味がすれ違う。特に法律家の使う言葉は、特殊な意味が含まれている。弁護士が「事実」と言うとき、文脈で「主張事実」と「認定事実」という2種類の意味を使い分けている。「事実でしょ」「事実じゃないよ」「それなら何?」なんてことになる。よく似た感じで、「証拠」という言葉の使い方も頻繁にずれる。たぶん、科学者からしても法律家にうまく伝わらない言葉があるんだろう。知っているはずの日本語なのに、使う人で意味合いがずれてしまい、意思疎通したいのに、うまくいかない。

 法と科学、いずれか一方の土俵で相撲を取るなら話は楽だろう。でも、社会が直面している問題の多くは、法と科学の「協働」を必要としている。

 出会い頭の短時間で結論を出していく(ように見える)事業仕分けを眺めながら、今日も科学者と私の協働は続く。

中村多美子

プロジェクト連絡先

 弁護士法人
 リブラ法律事務所
 〒870-0049
 Tel.097-538-7720
 Fax.097-538-7730
 Mail.lybra