本文へスキップ

専門家が口をつぐむ理由の一つ


 「科学的証拠」が必要になる場面で、科学者の協力が得られない、という弁護士のぼやきを聞くことは少なくない。

 素人なりに論文を検索して、どうもこの研究者が私たちが抱えている問題について、何か知っていそうだと思って連絡をしても、まず弁護士、というあたりで警戒されてしまう。少しやりとりをしても、だんだんメールの返事が来なくなり、ついには口をつぐんでしまう。さぞかし、ご研究でご多忙なのだろう、こうした下々の争いになど、なかなか目を向けてくださる余裕はないのだろうと思って、もっと社会問題に目をむけてくださる研究者はいないものかなどと、以前は弁護士どうしでぼやいていた。  

 弁護士から見ると、もしくは、大学の仕事にかかわったことのない一般の人々から見ると、大学の先生というのは、まず「優雅」に見える。私には理解することが到底困難な高邁な研究に日夜励み、その集中を煩わされるのは、いかに社会の大問題だとしても「優雅」なライフスタイルにあわないのだろうと思っていた。文字通りの「象牙の塔」に霞を食べて満足している博学の仙人が住まわっていて、大学の自治、学問の自由の名の下に、教授、准教授、講師などなどの職階があっても「選ばれし者達」として対等に学術論争が繰り広げられているものとばかり思っていた。それに、私を含め弁護士には、学術を究めることなく「実務」をやっているという劣等感を研究者に対して抱いている者は少なくないと思う(輝かしい実務業績を持つ著名な弁護士からさえそう聞いたことが度々ある)。

 それだけに、2011年6月19日に首都圏大学非常勤講師組合の松村比奈子委員長のJ-CAST Newsでのインタビューに衝撃を受けた人は多かっただろうと感じた。

 私にしても、上記のような想像が、大きな勘違いだったことに気づいたのは、独立行政法人科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)の仕事をするようになってからだ。科学者ともろもろの仕事をやりつつ、世間話を通じてようやく聞こえてきた本音の「実態」というのは、正直驚愕ものだった。

 まず、非常勤講師の使い捨て問題は、非正規雇用問題に近い。非常勤と呼ばれる講師達の苛酷な労働の実態、将来の保障もほとんどないまま大学をいくつもかけもちして日銭を稼ぐ「専業」の非常勤講師等、彼らによって開講されている様々な授業・・・。専任になったとしても「任期付き」で、いつ雇い止めにあうかわからない。大学の膨大な事務雑務(私はJSTに関与して、どれほど研究者が大学事務やマネージメントに時間を取られ、本来の研究時間を確保するのが困難なのかを目の当たりにした)、あらゆることで開かれる学内の会議・会議・会議・・・・。教授、准教授、という肩書きだけでは、到底彼らをとりまく環境など外部から推測しようもない。「博士号」は食い扶持を保障するものではないんだと言われて、国家ライセンスにより生計を維持している弁護士の私は、はっとした(もっとも法曹資格でいつまで生活できるのか、昨今の司法改革により極めて不透明となりつつあるが)。

 特に弁護士は、そうした「研究者」の実態をほとんど知らない。知らないからこそ、「研究者」に法廷に来て公の場で発言して欲しいなどと簡単に要請する。しかし、私たち(法曹を含む市民)に、法廷証言後の彼らの立場をフォローする覚悟はあっただろうか。勤務先である大学や学会での公式見解とは異なる自らの見解を述べることは、家族を養うためにようやく得ている職をなげうつ覚悟が必要だ。そうしてまで研究者を法廷に立たせようとしているという自覚は、残念ながら多くの法曹と市民に欠けている。研究者の「だんまり」の心の内をはき違えているかもしれないことに、なかなか気づくことができないのだ。

 確かに、「専門家」として社会に対して発言するにあたって、専門家倫理による限界はあるだろう。しかし、私には、それ以上に、研究者のおかれた就労環境が、さらに発言の枠を狭めているように思えてならない。

 税金を投入して形成される「知」が、このような大学の仕組みによって利用困難になっているなら、もったいないというほかない。それでも、研究者自身がその経済的状況や人事的状況を口にすることの困難さを慮る必要があろう(上記松村氏も途中まで匿名を通していたという)。

 科学技術の「知」を私たちが円滑に手に入れるには、大学の社会的構造に目を向けることも必要ではないか。私たちとは遠い世界で華やかに活躍しているように見える研究者の実態を、もっと身も蓋もなく知らせて欲しい。せめて、確固たる地位を確立した研究者には、強く大学の現状をオープンにして欲しい。そうでなくては、協働しようにも「だんまり」の理由がわからないからだ。

 他方で、私たち法曹にも、同様の問題がある。法曹界について法曹の一員として語ることの困難は、一研究者とは比較にならないだろうが、やはり困難さと躊躇を感じることは少なくない(そのことは別稿に譲ろう)。法と科学の協働を模索するとき、研究内容以前に、どれだけお互いがその身をさらした「裸」のつきあいができるかは極めて大事だと思う。

中村多美子

プロジェクト連絡先

 弁護士法人
 リブラ法律事務所
 〒870-0049
 Tel.097-538-7720
 Fax.097-538-7730
 Mail.lybra