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法律家のホンネを露わにした「ふくしま集団疎開裁判」


 福島第一原発の事故にまつわる法的紛争が増え続けている。前例のない紛争が多く、法律家にとっても手探りの状態が続いていると言っていい。

 被曝に関わる紛争を解くには、法律家は、膨大な科学的知識が作り出す迷路を抜けなければならない。それでも、今日までに蓄積された「正しい」科学の知識は、迷路の中の灯となりうる。平成23年12月16日福島地方裁判所郡山支部で言い渡された「ふくしま集団疎開裁判」は、科学の知識が法的判断の良き灯となりうるものと期待された事件だったが、逆に裁判の政治性を露わにする結果となった。

 「ふくしま集団疎開裁判」の正式な事件名は、「教育活動差止等仮処分申立事件」である。この裁判について、少なくとも私は国内のマスメディアの報道に接することはなかった。コンパクトにこの裁判の内容を知るには、むしろ韓国の公共放送KBSをご覧いただくのがよいだろう(日本語字幕付き)。

 訴えを起こしたのは、福島県郡山市に居住する14人の子ども達だ。郡山市教育委員会を設置する福島県郡山市に対し、子ども達の通う各小中学校における放射線量の積算値が1年間の最大許容限度である1ミリシーベルトを超えているので、このような地域における教育活動の差止めと地域外の教育活動の実施を求めた。しかし、裁判所はそれを認めなかった。

 さて、「許容限度年間1ミリシーベルト」というような科学技術にかかわる行政規制基準は、これまでの裁判においてほぼ絶対的に守らなければならないものであった。行政や事業者は、行政基準は「正しい」科学的知識に基づいて策定されており、基準以下なら「安全」と主張し、裁判所も行政基準以下での危険性の立証は必要ないとするのが通常だった。

 これに対し、ふくしま集団疎開裁判は、被曝線量が基準値以上であることは科学によって明らかにすることができる。であるなら、これまでの裁判所の判断傾向からして、差止は認められて当然と思うかもしれない。ところが、裁判という手続きは、それほど単純なものではない。

 裁判という手続きに対して人々が抱くイメージはどんなものだろう。裁判所は、政治的な恣意性からは無縁で、法に基づく公平な手続きで正義を実現し、自由と権利を擁護する憲法の番人だなどというイメージがほかならぬ法律家によって喧伝されてきた。

 実際には、政策形成を目的として提訴される裁判は、かなり「政治的」だ。とはいえ、裁判所自らが「政治的」配慮を理由にした例はそう多くない。ところが、この裁判では、裁判所が判決のもたらす政策的な影響に論及した。

 もともと、申立人側(子ども達と親)も、政策決定の是非を直接裁判所に求めてはない。申し立てた14人だけについて、教育活動の差止と空間線量率測定値の平均が0.2μシーベルト/時以下の場所での教育活動を求めたにすぎない。裁判とは、個人の個別の権利救済を図るものだからである。 法のタテマエ上は、裁判所は、申立を行った子ども達だけについて判断を行えばよい。

 それなのに、この裁判が、「集団疎開」裁判と呼ばれるのはなぜか。裁判の影響は、当事者だけには限らず、他の子ども達にも及ぶこともまた現実だからである。

 福島地裁郡山支部は、普段は隠されている法律家のホンネをなんと決定書中で暴いている。すなわち、この申立を14人について認めれば、申立をしていない子ども達にもその判断の結果は及ぶということを、決定の理由の中で考慮の対象としているのである。決定書全文は、http://fukusima-sokai.blogspot.com/ のサイトから入手可能だ(個人情報は伏せてある)。

 その一部を紹介しよう。「いったん市外に転出したが、郡山市内で教育を受けることを希望して市内に戻った児童生徒もいることは上記認定事実のとおりであって、これらのもの全員が、債権者ら(14人の子ども達と親)の求めるような集団疎開を望んでいるとは限らない。債権者らの本件申立ては、実質的には、自己に対する権利侵害又はそのおそれを理由に、自己とは関係のない他の多数の児童生徒に対し、その意思とは無関係に、これらの者が現に享受している債務者(郡山市)の教育活動の実施についても差止め等を求めるものである」だから、差止の要件は「厳格に解する必要がある」として、差止の要件を厳しく設定し、訴えを退けたのである。

 さらに、「ICRPの年間1ミリシーベルトの基準も、その意味では絶対的ではない」「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については、実証的に確認されていない」などと述べ、科学的不確実性を強調している。確かに、科学には限界がある。その科学的不確実性を前提に、これまで裁判所は行政基準値を境に「以下」なら責任免除、「以上」なら被害者救済という形で取り扱ってきたはずである。基準値を超えてもなお、科学的不確実性を責任免除の根拠とするのは、政治判断そのものであろう。

 この裁判からは、裁判という過程が、非政治的で単純な法の適用のみによって導かれる結論ではないことを見て取ることができる。政策形成的目的の潜む裁判で、裁判所は、結論を直感的に先取りし、その理由を後から裏付けしていく。その過程が、実に率直に示されたのがふくしま集団疎開裁判の決定である。

 法は、必ずしも論理必然的な答えを法律家にもたらすのではない。法は、論理的に整合的な体系ではなく、融通無碍な性格を孕んでいる。

 不確実な科学的状況の先にある、法の不確実性を、法律家がどのように社会に説明していくのか、今後問われていくだろう。

中村多美子

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