本文へスキップ

マイナンバー法案の居心地の悪さ


 現在、第180回国会で、「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」とその関係法律の整備等に関する法律が審議されている……と言って何の話かピンとくる人は多くないだろう。断っておくが、この原稿はこの出だしにピンとくる人向けに書いているのではない。

 マイナンバーって、どこかの電話会社のサービスだったか、どこかのプロ野球球団のファンサービス企画だったか、ラッキーナンバーと何か違うんだっけと思ってしまうような読者向けだ。

 「国民総背番号制」と表現すればピンと来る人も多いだろうが、今回の法案は「いわゆる国民総背番号制というものとは違う」という論者などが出てきて、話がややこしくなる。冒頭の法案が、マイナンバー法案などという海のものとも山のものともつかぬ名称で呼ばれるのは、過去に議論された類似の制度と差異をつけたいという狙いもあるのだろう。

 日本で個人を特定できる番号を一人一人につける、という制度については、比較的長い間議論されてきた。ちなみに、日本弁護士連合会は、「共通番号制度の問題点 Q&A」において論点をとりまとめている。

 そもそも、長期的に行政が管理できる個人識別番号をつけることに、何か問題があるのかという疑問は当然だ。筆者にも、住民票コードがついているし、基礎年金番号もあれば、パスポート番号だってある。自分では存在さえ知らないような様々なデータベース番号が付けられてもいるだろう。それに比べれば、番号の一本化により、行政上の手続きが統一され、本人としても番号にヒモ付けされた内容が管理でき、必要な人に社会保障が行き届き、脱税がしにくくて税務がフェアになるなら、どうして反対することなどあろうかとも思われるだろう。

 実際、消費税増税やエネルギー政策をめぐる様々な政治的論争の中、マイナンバー法案のことがメディアでとりあげられる機会は極めて少ない。いや、むしろ誰が反対しているのか、という印象さえあるだろう。おおざっぱにいえば、マイナンバー法をめぐる争点は、科学技術のインフラを利用した社会制度の導入の議論にかぶる。(1)そもそも要否をめぐる問題(費用対効果を含む)、(2)外国にはあるが日本にはないという黒船的グローバル論、(3)主として法律家から提起される制度のリスクと権利保護の問題、である。それに、制度設計をどうするかという高度に技術的な問題が、社会問題として議論するには高すぎる障壁を人々の間に設けている。つまり、何かはっきりした社会問題、すなわち事件が起こるまでは、「専門家」にお任せ、ということになってしまうわけである。

 (1)、(2)、(3)の問題については、論客は枚挙にいとまがないほどいるので、詳細はそちらに譲るとして、筆者は、「技術」の視点から、マイナンバー法の問題を検討してみたい。

 そもそも、筆者が法律家であることを割り引いても、直感的にマイナンバー法は、どうにも社会で生活する者として居心地が悪い。今回、その居心地の悪さはどこから来るのか考えてみた。大きな論争となり、最高裁判決が出るに至った住民基本台帳制度について、筆者は批判的立場であったが、施行後10年の間に住基ネットによって具体的に何か事件に巻き込まれたかと言われるとそうでもない。周囲に住基ネットによって被害を受けた人がいるというわけでもない。具体的な法律相談が頻繁にあるわけでもない。だったら、筆者の感じた居心地の悪さは、ただの「杞憂」だったのであろうか。マイナンバー法についても、神経質になりすぎなのであろうか。

 しかし、この静かに、密やかに、社会浸透していく「わたし」にまつわる番号の存在は、筆者に住基ネットとは異なる不気味な息苦しさを感じさせている。

 住民基本台帳制度が始まった1999年当時との大きな差は、私たちの社会にビッグデータを処理するインフラがあまねく広がっているということだろう。一市民がポケットマネーで購入できるようなデータベースソフトでは到底扱えない多量の情報が、時々刻々と、社会に生み出されている。そして、ビッグデータを利用できる地位と術を持つ者と、持たざる者との二極化が進んでいる。人々の携帯端末からほぼ常時発信される位置情報、インターネットを飛び交う様々なメッセージ、リアルな店舗に優るとも劣らなくなりつつあるインターネットを利用した商取引。1999年当時なら、膨大なコストと時間をかけなければ情報処理できなかった様々なデータが、現在は瞬時に解析され、社会の至るところで活用されている。SNSを利用していると、だれがどうやって集めのか想像もつかない、「わたし」に関する情報が、瞬時に画面に掲載されてどきりとする経験がある人は少なくないだろう。

 筆者のマイナンバー法に対する居心地の悪さは、このあまりにも急速に発達した情報処理技術と、それによって生じうる「格差」にある。情報を握っているのが「行政」という国家権力であるという弁護士的な不信感だけではない。複雑に構築された情報化社会の中で、誰が情報を「持てる者」で誰が「もたざる者」なのかがはっきりしないという不透明性にある。

 マイナンバー法が制定されシステムが立ち上がったら、多くの人々は、おそらく高度な情報工学の知識を要する用語の数々にとまどうだろう。でも、そのシステムが「常識」とされる社会にあっては、行政機関にとどまらず、人々の間に知識勾配、そして権威勾配は確実に広がる。さらに秘密保全法制、個人情報保護法制などが複雑さに拍車をかける。複雑に相互作用する「生きている」法制度の中では、時に、システムの運用の有様は、システム設計者の想定を超えるものとなる。実際の立法の現場のせめぎ合いは、誰もが想定しなかった法制度を生み出すものだ。そして、技術革新のスピードは、そうした法制度の変容速度をはるかにしのいでいく。

 マイナンバー法のある世界では、たとえて言うなら、わたしは、丸裸になるようなものかもしれない。そして、わたしが誰の目から見て丸裸になっているのか、決してわたしにはわかるまい。時に間違いを犯し、忘れ去りたい過去を持っていても、過去のわたしは丸裸のままで、知らない誰かにさらされ続けるのかもしれない。これは、「わたし」だけの問題ではないかもしれない。システムを掌握している「持てる者」だと思っている「あなた」の問題になるかもしれないのだ。

 果たして、わたしたちは、そんな社会を望んでいるのだろうか。

 立法は、社会システム構築のための小手先の技術ではない。法システムを創ると言うことは、わたしたちの社会が、どんな社会でありたいかという価値を常に問うものであることを意識して議論する必要があるように思う。

中村多美子

プロジェクト連絡先

 弁護士法人
 リブラ法律事務所
 〒870-0049
 Tel.097-538-7720
 Fax.097-538-7730
 Mail.lybra