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イタリア巨大地震 ラクイラ有罪判決の本当の意味


 イタリア中部の都市ラクイラは、中世の面影の残る街だ。古くから地震が頻発するこの地域で、2009年春、数ヶ月に及ぶ群発地震が発生していた。大地震の発生を警告して回る人物も現れる中、大地震の前兆ではないかと心配する人々に対し、イタリアの科学者からなる政府の委員会のメンバーは、大地震の危険性を否定する趣旨の情報提供をしていたとされる。そして、その1週間後の4月6日、マグニチュード6.3の大地震が襲った。死者は309名。


 2010年6月、イタリアの検察官は、6人の科学者と1人の政府関係者を刑事訴追した。そして、2012年10月22日、求刑を上回る禁錮6年の実刑判決がなされたと報道されている。


 実は、判決に先立つこと約1年前の段階から、『ネーチャー』は、2011年9月5日発行号で「AT FAULT?」というタイトルで、この事件を大きく取り上げていた。

 他方で、『サイエンス』を発行する全米科学振興協会AAASは、地震の予知の失敗について科学者を刑事訴追することは、「unfair and naive」(「不公正で、無邪気」)であるとして、イタリアの当局に強い懸念を示す書簡を送っていた。

 本年10月22日の判決を報じる日本のメディアも、このラクイラの判決を「地震予知失敗」で有罪などと見出しにしているものが多い。

 しかし、この事件は、地震予知の失敗をめぐるものではそもそもない。『ネーチャー』の上記記事の中でも、担当検察官Fabio Picuti氏は、次のように述べている。「私は気が狂っているわけではない。彼らが地震を予知できないことは知っている。訴追の理由は、彼らが予知をしなかったことではない。州の当局者として、彼らは、ラクイラに存在していた危険を評価し明らかにする法律上の義務を負っていた。彼らは、あらゆる要素を考慮に入れて、リスクを評価しなければならない義務を負っていたが、そうしなかったのだ」

 カナダのテレビ局CBCは、有罪とされた事実、すなわち、委員たちは「何をして」「何をしなかった」のかということについて、比較的詳細に報じている。

 CBCによると、2009年3月31日、住民たちが群発地震におびえラクイラから避難すべきかどうか心配していた最中に、招集された委員たちは、巨大地震は「起こりそうにない(improbable)」と結論づけたメモを残している。そして、委員たちは、地元のメディアに対し、地震の予知はできないとしながらも、地震の頻発地域で6ヶ月も群発地震が続いていることは普通ではないものの、それは巨大な地震がくるということを意味しないと述べたのである(もっとも、訴追された7人の立場や主張は異なっている)。さらなる事件の詳細は、前掲『ネーチャー』の記事にあるが、余震の直後の臨時の会議の後、専門家たちが述べた「群発地震は、大地震の危険をむしろ下げる」という情報は、群発地震におびえる住民によってマントラのように唱えられることになった。死亡した住民は、地震の恐怖を感じると、専門家の言葉を自分自身に言い聞かせていたのである。

 『サイエンス』を発行するAAASなど各国の科学者は、刑事訴追が決定したときと同様、この予想を超えて重い有罪判決を受けて、司法が科学者を刑事訴追するならば、口をつぐむほかなくなると、強く反発している。

 そう、刑事訴追されるくらいなら、科学者は象牙の塔に籠もって論文だけを書いていればいい。

 しかし、ラクイラの裁判所は、科学を裁いたのであろうか。

 法律家である私は、そうは思わない。法は科学を裁くことはできない。現代の司法制度は、ガリレオを裁いた宗教裁判所とは異なる。ガリレオの時代と異なっているのは、科学と科学者に対する社会の期待である。税金でまかなわれる研究費は、私たちの知的好奇心を満たしてもらうためだけに提供されているのではない。社会の中にある科学と科学者は、現代のスポンサーである私たちに説明責任を負っている。私の言う説明責任は、いわゆる科学コミュニケーションとは異なる。「あなたがもしも、私の立場だったらどうする?」という問いに、専門家の叡智を自分の能力の及ぶ限り提供して答える。それが私の言う「説明責任」だ。
象牙の塔で霞を食べて生きていっているわけではない「あなた」が、隣人である社会の人々とともに生きていくために、社会が要求している「責任」だ。

 イタリアで最も地震のリスクの大きい地域にある、中世の都市ラクイラ。そこで、美しいけれども耐震性の弱い建物に大事な家族とともに住み、地震が来たらすぐに家から飛び出すようにとの先祖の教えを守ってきた人々。前例のない群発地震の継続におびえる彼らの必死な問いに、「パニック発生への懸念」ゆえに専門家から発せられた「落ち着いて。心配しないで」との無内容な回答に対し、社会は法をもって臨んでいるのだ。

 まるで、我が国でほんの1年半前に起こった出来事を思い起こさせるではないか。

 日本の社会と法律家は、フクシマでの専門家責任をどう考えるのか。

 法律家の一人として、自ら問い続け、回答を見いだしていかねばならないことは、あまりにも多い。


※ 刑事訴追制度は、日本とイタリアでは異なるが、本稿ではわかりやすさを優先し、正確性は犠牲にしている。起訴罪名は、「過失致死」と日本では報道されているが、イタリアの刑法における構成要件は不明である。英語では、Manslaughterと訳されていることが多い。Manslaughterは、日本の過失致死とも異なる概念であることに注意が必要である。

中村多美子

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